諏訪神社神事次第大概
(表紙)「諏訪上宮 神事次第大概」
御頭神事 三月中酉、二ノ時ハ上酉云々
右之通候、翌日戌日是ヲ二ノ頭祭ト申候、
本社ノ前ニ仮殿ヲシツラヒ云々、
本社ノ前ニ仮殿ヲ補理(シツラ)フ事無之候、二拾丁程モ隔テ辰巳ノ方ニ前宮ト申ス社アリ、其所ニ拾間廊ト申ス神事屋アリ、右酉ノ祭ノ儀式、其所ニテ有之候、
当日七拾五膳ノ備物奉ルナリ、諸方ヨリ献ル所ノ鹿頭、自然ト七拾五頭ニ揃フヨシ云々、
右之通候、
初ハ鯉、其外魚頭ヲモ備フヨシ云々、
魚・鳥・兎・耳裂ノ鹿頭大祝江備フ、此外ニ十二飾魚鳥ノ備物有リ、
右七拾五之中耳ノサケタル鹿アルヲ不思議トス云々、
右之通候、
又右之内一頭ヲ四間計ノ柱ノ上ニ懸ル云々、
其義無之候、右十間廊ニ鹿頭ハ爼ニ載備ル計也、
コレヲオン子(ネ)柱ト云云々、
文字ハ御贄柱ナリ、土俗コレヲオンネト云フ、是ハ頭郷精進屋ニアリ、鹿肉ヲ掛ル也、頭郷精進屋之事下ニ委ク記ス、
鳶・鳥ノ類近ツキ喰フ事アタハス云々、
右之通候、鳶・鳥ノ類其上ヲ飛行スレハ落、
此日オコウトイフアリ云々、
右之通候、文字御神オコウト書候、然トモ俗称ナリ、神使カウツカヒト云、此事下ニ記セリ、生贄ニテハ無之、十五歳未満之小童ヲ一人頭郷ヨリ指出候、
百日ノ行ヲナサシメ云々、
百日之行無之候、三十日潔斎ナリ、千早ヲハ不著、赤キ水干ヲキテ、立烏帽子ヲ真綿マハタニテ包ミカウフルナリ、
藤蔓ニテ後手ウシロテニイマシメ馬ニノセ云々、
後手ニテハ無之候、藤ノ襷ヲ掛ケ、馬ニハ乗セ不申候、
仮殿ノアタリヲ牽キ、夫ヨリオンネ柱ヲ廻ル云々、
右之神使ヲ馬ニノセテ、御ン杖ヲ持セ廻ル、オンネ柱ヲ廻ルニテハ無之、右之十間廊ノ所ニ神原ガウハラト云所アリテ廻ル也、大祝附添廻ル事ナシ、其外五官祝モ不廻、
大祝山鳩色之袍ヲカクルヨシ云々、
山鳩色ノ狩衣ナリ、
廻リ終リテ柱ノ傍七ッノ小社ノ内ニ云々、
七ッノ小社ト云事無之候
又仮殿カリトノノ内ニ青山ト号シテ青葉ノ附タル枝ニテ飾モノ有リテ云々、
青山ト号スル事ナシ、神事ノ節、右ニモ記御杖オンヅエト申テ四角ノ柱 寸尺神秘 ヘ、桧ノ枝・山梨之枝・柳ノ枝・ヂシヤノ木ノ枝 漢字未詳 ヲ、五官祝ヨリ銘々一種宛出シテ、其中ヘ神供等ヲ柏ノ葉ニツヽミテ、右ノ柱ヘ飾ル事アリ、此ノ柱之品ハ神秘ニテ難述、
此前ニ御爼直シト云事アリ云々、御爼二枚祢宜キ両人ニテ押合ヒ持云々、
此事下ニ記ス、御爼ハ鯉ニハ非ス、鴈ヲ載、大祝ヘ備ヘ、捧ケ出ルハ祢宜ニハ非ス、頭郷ヨリ両人三十日精進、麻上下ニテ出候、鴈ト庖丁ト箸トヲ載セ、捧出テ其向キ役人ヘ下ケテ渡セハ、料理人請取ル、
爼大サ凡三尺、鯉一献ツヽ云々、
爼長サ三尺五六寸、幅一尺二三寸、厚サ四五寸、右之通之爼両人ニテ其年ハ三十日稽古シテ、身ノ執トリマハシヲ習ナリ、潔斎ナラザレハ怪我ケガ有リト云リ、形ノ儀、執トリ廻マハシシ違アレハ、其人年ノ中ニ凶事アリ、
又境内ノ山ニ五十駄ノ薪ヲ積置云云、
右之通候、
扨オコウヲ再馬ニノセ、其焚火ヲマハル、カクテ神事終ル云云、
再ハ不廻一度ナリ、神使ヒヲ馬ニノセ、マハルハ前ニ記セリ、上ニ記ス、神原カウハラヲ廻ル、火ノ廻ルニテハナシ、是ヲ御手秡オテハラヒト云、尤神事終ルナリ、
右オコウノ諸向順々八ヶ村ヨリ勤テ、コレヲオトウト云、 御頭之文字ニヤ 役人ヲトウ殿ト云云、
オコウ計ニ非ス、右酉ノ祭ノ諸向頭郷ト云テ、十五郷ニテ順々勤之ヲ候、於テ神前ニ正月元日蛙狩神事済スミアトニテ、御鬮ミクジアリテ頭郷定ル、 御頭ノ文字ナリ 役人ヲ頭殿トハ土俗ニ云ヘリ、頭主トウヌシト云フ、神人ジンニンノ事ナリ、上ニ云御贄柱ハ其当番ノ郷ヘ立テ、鹿ヲ掛候、其頭郷ヘ三十日已前ニ新ニ萱葺カヤフキニテ精進屋ヲ建、大祝精進初ノ神事ニ出ツ、三十日神人シンニン毎日秡ヲ修ス、祭ノ諸向夫ニテ調ル、御贄柱ハ其精進屋ノ前ニ建ツ、
右鹿ノ頭ヲ献シオコウヲ出候事イカナル所謂ニヤ、当日祝詞・秡等執行御座候哉云々、
鹿頭ハ諸郡ヨリ狩人其ノ外人々当日献シ、自然ニ集リ候、御神ヲコウノ事委シキ品者神秘ニテ難述、
御柱ヲンハシラ神事四月七ヶ年ニ一度ツヽ云云、
右之通候、
寅ノ年ハ申ノ日、申ノ年ハ寅ノ日云云、
寅ノ年ハ寅ノ日、申ノ年ハ申ノ日也、申・酉・寅・卯ト両日宛祭有之候、申ノ日四月中三ツ有レハ中ヲ用ヒ、二ツアレハ初ヲ用、
一二三四ト社之四隈ニ建ツ云云、
右之通候、
花表ノ形四角ニテ片ソギナリ云云、
長サ五丈五尺之大木、上ヲ劔形ニ尖ク迄ニテ、山採ノ儘ナリ、一二三四ト云テ、一ノ御柱五丈五尺ニシテ、夫ヨリ段々五尺宛短キ也、祭礼前ニ御小屋嶽ヲコヤガタケト云深山ヨリ数千人ヲ以テ曳ヒキ出シ、社地ヘ引込、建ル日ヲ御柱祭ト云フ、上ニ云、前宮ト云社ニモ建ツ、本宮共ニ都合八本也、高遠タカトヲ城主ヨリモ人足大勢出ツ、本宮・前宮共ニ両日ニ建ルナリ、騎馬ハ五官祝・大祝并介錯両奉行・宮(高)島城主・高遠城主ノ騎馬并警固等アリ、参詣夥シク、在々所々児女子ノ往来難成リホドナリ、神輿渡御ハ無ク之候、御舩ミフネト云テ杣人捧持テ群集ノ人散銭・散米ヲソレヘ投ルバカリ也、御柱ヲンハシラ伐キリタル杣人ノ致ス事也、是当社第一ノ大祭礼ニテ、小社人行列其ノ外規式共不尽筆紙ナリ、領主桟敷・社家桟敷・諸士桟敷・在家町人桟敷等貴賤群集ス、
御柱ノ所謂如何ナル儀ニヤ云云、
世上ニ俗説等沙汰スレトモ、一社神秘ノ事ニテ難シ述、
御射山祭七月廿七日云云、
右ノ通候、廿六日社家騎馬登山、二十九日迄、神事日々有之候、
此祭ニ穂屋ト云物ヲ作ル云云、
大祝・五官祝銘々知行所百姓役義ニテ年々新ニ材木ヲ採リ、薄ススキヲ苅カリ造り葺也、領主小屋・家老職小屋総而穂屋数十
大祝・五官祝・神宮寺・如法院・蓮池院十八日ヨリ穂屋ニ籠コモル云々、
神宮寺・如法院・蓮池院等ノ社僧登山之事無之候、
廿七日神輿渡御御本社ヨリ御射山マデ三里云云、
御射山ニ神輿渡御無之候、是ハ上ニ記ス、七年一度御柱祭礼、四月ノ後六月ニ入リ寅ノ御柱ナレハ寅ノ日、御柱ノ通リノ日取リニテ遷宮、神輿渡御也、宝殿二宇、尤白木ノ萱葺ナリ、寅ノ宝殿・申ノ宝殿ト云ヒ、七年毎ニ新ニ建改、神輿渡御アリ、神宝迄モ遷シ替リ候、当社ニ仮殿遷宮ト云フ事ナシ、元来二宇アル故也、
此ノ日午ノ刻ニ三光拝レ玉フ、七不思議ノ内ノ一ツトス云々、
右ノ通候、七不思議ノ一ツニテハ無之候、
御領主并信州一国ノ諸大名ヨリ馬ヲ牽ヒカセ玉フ、廿九日ニ至テ神輿還御云々、
領主ヨリ代参・警固・武器人数等アル迄ナリ、古ハ他家ヨリモ馬ヲ牽セ玉フ事シ由シ申伝、
御射山狩ト申事歌ニモ詠、連誹(俳)共ニ秋ニ用候、如何ナル御義ニヤ云々、
御射山祭ヲ秋ニ用候事、玉葉集ノ金刺盛久歌ニ
尾花ヲハナフク穂屋ホヤノ廻メグリノ一村ヒトムラニシバシ里アル秋ノミサ山
春雨抄ニ
苅カリテホス穂屋ホヤノスヽキノ御射山ニ鎌カマ隼ハヤブサヤ御鷹ナルラン
秋ニ行ハレ候故ニヤ、左之古記ニモ、東鑑曰建暦二年八月記曰可禁断鷹狩、但於諏方大明神御贄ミニヘノ鷹者ニ被免之ユルサ云々、 和歌題詠スルニ、小鷹狩ハ秋ナルニ、御射山ハ雪雀ヒハリ・鶉ウツラ等ノアル処ナリ、古ハ御射山原ニテ流鏑馬アリシ由、社記等ニモ略見ヘタレト今ハ絶タリ、本宮ヨリ三里余アリ、八嶽・御小屋嶽等ノ麓ニテ、四方五十町平ナル原、常ハ人家遠ケレハ寂寥タル野原ナリ、シバシ里アル秋ノ御射山ト云歌ニタガハズ、
別ニ御射山ト云フ事モ、右之通リ御射山祭ト申計也、厩・鷹部屋ナド申ス穂屋、城主向キノ穂屋ニ今ニ作リ添ユ、
元旦蛙ヲ狩出シ候ヤ云々、
右之通候、社頭御階ノ下ニテ神人シンニン共蛙ヲ狩出シ神前ニ備置ソナヘヲキ、五官祝ノ内其年ノ役ニアタリタル祝、柳ノ弓ヲ以テ其年ノ明ノ方ヘ向其蛙ヲ射ル、
正月十四日筒粥ツツカユ云云、
七不思議ノ一ツナリ、
神前点滴常ニ滴リ候哉云々、
神前ニテハ無之、寅・申ノ宝殿ニテ今ニ有之候、
葛井ノ清池如何様ノ事不思議ニヤ云々、
葛井ハ本宮ヨリ丑寅ニアタリ、半里余モ離レ候場所也、末社アリ、四方森ノ中ニアル池ニテ、底ノ深サ難測知候、落葉ノ比落葉一葉モ其溜リ池ノ水上ニ不渟ト申伝候、
湖水ノ御渡リイツト申事モ無御座候哉云々、
是ハ厳寒ノ中湖上ニ一通リ神幸ノ跡ト申シ、氷ニ蹄ノ跡見ヘ候、見出シ候役人定リ居候、東西南北其年々神幸ノ跡蹄上リ候場所違候、見出候役人大祝ヘ訴ヘ、夫ヨリ領主ヘ注進候、七不思議ノ一ツ也、
安永七年戊戌年八月松平遠江守殿ヨリ当社神事次第被尋、一社談之上書綴、高島月番江差出、土橋多門持参、